「生きていく意味が分からない」と苦悩する人に伝えたいお話【沼田和也】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「生きていく意味が分からない」と苦悩する人に伝えたいお話【沼田和也】

『牧師、閉鎖病棟に入る。』の牧師が語る優しい夜話

 

 わたしは教会へと相談に来る人に対して、聖書を引用するにしても上記のような、とことんネガティブな箇所を話すようにしている。古代にも、あなたと同じように深く絶望、落胆している人がいたのだと。聖書に、まさにあなたの声が録音されていると。するとたいてい相手は驚く。「聖書にこんな後ろ向きな言葉が書いてあるなんて、知りませんでした!」その人はむしろ安心し、笑顔さえ見せてくれることがあるのだ。

 人間には時があるのだと思う。苦しいときは、いわば台風が通過しているようなものである。台風がまさに通り過ぎようとしているそのとき「今は晴れているぞ、晴れだ!」といくら叫んでみたところで、外は暴風雨である。家のなかでじっと、台風が通り過ぎてしまうまで待つしかない。ところで、独りで家の中にいると心細い。停電や浸水などが起こったときにはパニックになるかもしれない。そんなときもしも誰かがそばにいれば、声をかけあったり、助けあったりすることもできるだろう。苦しいときも同じではないだろうか。

「自分はなぜ生きているのだろう」「生まれてこないほうがよかったのだろうか」そういう問いに、アンケートに答えるように回答することはできない。それらは答えのない問いであり、しかし問うている人自身にとっては、問わずにはおれないほど切迫した問いである。そしてこの問いは荒れ狂う暴風雨のようであり、問う人をしばしば不安に陥れ、苦しめる。そうであれば、誰かがそばにいることが大切になってくる。問うたからといって答えがでるわけではないにしても、「なぜなんだろう。どうしてなんだろうね」と、いっしょに問う仲間がたった一人いるだけで、問いの向こうに垣間見えるものは違ってくるのである。

 教会へアクセスしてくる人も、わたしに回答を求めているわけではないのだろう。彼ら彼女らは、自分のなかで淀んでしまった言葉に、新しい流れを注ぎたいのである。わたしという他者がなにげなく発する「どうしたらいいんでしょうねえ……」という一言が、淀んでいた思考をかき混ぜ、底に沈んだ滓を舞い上がらせるのだ。そして、そのかき混ぜ役は家族や恋人、友人知人ではだめなのだろう。身近な人と話しても、言葉はいつも同じところに流れ着いてしまうからである。そうやって同じところに流れつき、淀んだ言葉は、いつも静かに沈殿してしまう。だから赤の他人である、しかし交差点で偶然すれ違う人ほどの距離感はない、そういうわたしに、彼ら彼女らは思考をかき混ぜてもらいに来るのかもしれない。

 わたしは気分転換にお寺や神社に行くことがある。美術館でゆっくり作品を眺めたりもする。お寺や神社の境内そのもの、美術館という建築空間それ自体が、凝り固まったわたしの思考を攪拌し、解き放ってくれる。それは気分転換以上の行為である。まして、そこに今自分が抱えている問題に通じるものを見出したとき。「わたし以外の人、それどころか今はこの世にいない、ずっとずっと昔の人も、わたしと同じように悩み、苦しんだのだなあ」。「このわたしの苦しみ」から「このわたしの」の殻が取り去られる瞬間である。わたしの外から、じつに清々しい風が吹いてくる。

 

文:沼田和也

 

 

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沼田和也

ぬまた かずや

牧師・著述家

日本基督教団 牧師。1972年、兵庫県神戸市生まれ。高校を中退、引きこもる。その後、大検を経て受験浪人中、1995年、灘区にて阪神淡路大震災に遭遇。かろうじて入った大学も中退、再び引きこもるなどの紆余曲折を経た1998年、関西学院大学神学部に入学。2004年、同大学院神学研究科博士課程前期課程修了。そして伝道者の道へ。しかし2015年の初夏、職場でトラブルを起こし、精神科病院の閉鎖病棟に入院する。現在は東京都の小さな教会で再び牧師をしている。ツイッターは@numatakazuya)

 

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  • 沼田 和也
  • 2021.05.31